大阪万博2025

 (日本国民として)大阪万博が成功を収めることを願っているが、2023/4/13産経新聞の1面の記事を拝見して違和感を覚えた。なぜならば、科学技術が生んだ超兵器によって自滅の危機に瀕しているにも関わらず、技術至上主義的な表現になっていると感じられたからである。冒頭の記載にある「人間が何者かというのは、まだわかっていない」という根本的な問題を解決しない限りは、科学技術のあるべき論は公言できないはずである。(しかし唐突にも)EXPO70との違いは「未来を神様にゆだねる時代から、自分で未来を責任もって設計する時代に変わったこと」、すなわち「人間が未来に責任がもてる存在になったこと」を述べられている。人間をわからずして何故そのようなことを主張できるのだろうか。それはともかく、世界から「神(自然)への冒涜」と非難されないか心配である。

 「現代の人間は科学を武器にして自然に挑戦するようなことは止めるべき」「謙虚に自然が教えるところに素直に従うべき」「自然の摂理というものをもっと科学的に追及すべき」といった評論の方が、違和感なく受け入れられる。時機を失した感はあるが、自然(神)に対する謙虚さこそが、未来の設計に求められる要諦ではなかろうか。それに気づくことなく、人間の我欲に任せて設計を続けていくと、ターミネーターのような暗黒の世が訪れるだろう。もっとも(そうなったとしても)、遅かれ早かれ自然淘汰の末、滅び去る運命ではあるが。

 本番まであと2年。日本古来の自然観を今一度見つめなおし、人間が(自然から)生かされている理由を理解したうえで、「世界平和のために貢献できる科学技術とは何か」を、世界に向けて発信して頂きたい。それこそが、今、日本に求められていること、そして世界が最も関心を寄せていることだと思う。

追記:2023年12月28日の産経新聞16面の特集記事を見て、残念感満載だった。人類はじめ様々な生物が切望している「世界平和」や「SDGs」に関する提案が皆無。「バーチャル万博/空飛ぶ車/ミライ人間洗濯機/自動翻訳」が提案ネタにあがっていたが、2度目の化石賞を受賞するかも。。。

追記:2024年2月15日にSGDsに関する提案「バイオメタネーション」が公開されるとのこと。少し安堵した。ウクライナ復興支援に関する日本の技術も大々的に世界にアピールしてはどうだろうか。ならず者の攻撃の無力化と身を守る技術の開発が急務と思うのだが。。。

 

違和感を覚えた記事(一部抜粋)